正岡子規の有名な俳句16句
正岡子規は、明治時代の俳人です。
目に映ったものを飾らずに言葉にする「写生」を説き、多くの弟子を育てました。
有名な句を季節ごとに、季語と意味を添えて紹介します。

有名な句と季語
春の俳句
若鮎の二手になりて上りけり
『寒山落木』より
季語:若鮎(春)
若鮎が、二手に分かれて川を上っていった。
「石手川出合渡」という前書があります。
前書は、句の前に添えた短い文のことです。
石手川は子規のふるさとの松山を流れる川で、その渡し場で詠んだ句です。
若鮎は、春に川をのぼってくる若い鮎のことで、「上り鮎」ともいいます。
毎年よ彼岸の入に寒いのは
『寒山落木』より
季語:彼岸(春)
毎年こうだよ、彼岸の入りなのに寒いのは。
「母の詞自ら句になりて」という前書が付いています。
母の口から出た言葉が、そのまま五・七・五になっていた、という句です。
「彼岸の入」は、彼岸の始まる日です。
春の彼岸は、春分の日をまん中にした7日間です。
故郷やどちらを見ても山笑ふ
『寒山落木』より
季語:山笑ふ(春)
ふるさとでは、どちらを向いても、山が笑っている。
「山笑ふ」は、芽吹いて明るくなった春の山を、笑っている顔に見立てた言い方です。
夏の俳句
夏草やベースボールの人遠し
『子規全集』より
季語:夏草(夏)
夏草が茂っている。
ベースボールをしている人たちが、遠くに見える。
ベースボールは野球のことで、子規は学生のころから夢中になっていました。
紫陽花やきのふの誠けふの嘘
『寒山落木』より
季語:紫陽花(夏)
紫陽花よ。
きのうの誠が、きょうは嘘になる。
「傾城賛」という前書があります。
傾城は遊女のこと、賛は絵に書き添える詩や文のことで、遊女の絵に添えた句です。
咲いているうちに花の色が移り変わる紫陽花に、きのうときょうで変わる言葉を重ねています。
夏嵐机上の白紙飛び尽す
『寒山落木』より
季語:夏嵐(夏)
夏の強い風に、机の上の白い紙が、一枚残らず飛ばされてしまった。
「机上」は机の上、「白紙」はまだ何も書いていない紙のことです。
夏嵐は初夏に吹く強い風で、「青嵐」ともいいます。
秋の俳句
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
『寒山落木』より
季語:柿(秋)
柿を食べていると、法隆寺の鐘が鳴った。
「法隆寺の茶店に憩ひて」(法隆寺の茶店でひと休みして)という前書があります。
法隆寺は、奈良にある古い寺です。
季語の柿は秋に熟す実のことで、柿の花は夏の季語になります。
雞頭の十四五本もありぬべし
『俳句稿』より
季語:鶏頭(秋)
鶏頭は、十四、五本もあるにちがいない。
「ありぬべし」は、きっとあるだろう、と推し量る言い方で、目で数えずに想像して詠んでいます。
鶏頭は、ニワトリのとさかに似た形の花をつける草で、「雞頭」とも書きます。
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり
『寒山落木』より
季語:赤蜻蛉(秋)
赤とんぼが飛んでいる。
筑波山には、雲ひとつかかっていない。
筑波は、茨城県にある筑波山のことです。
赤蜻蛉は、体の赤いトンボの仲間をまとめていう呼び名です。
三千の俳句を閲し柿二つ
『俳句稿』より
季語:柿(秋)
三千もの俳句に目を通した。
そして、柿を二つ。
「閲し」は、よく読んで確かめる、という意味です。
「ある日夜にかけて俳句函の底を叩きて」という前書があり、箱にためていた句を、昼から夜までかけて最後まで読み終えたときの句です。
枝豆や三寸飛んで口に入る
『子規全集』より
季語:枝豆(秋)
枝豆が三寸も飛んで、口に入った。
さやから押し出した豆が、勢いよく口に飛びこんだようすです。
三寸は昔の長さで、およそ9センチです。
枝豆は、青いうちにとった大豆です。
松山や秋より高き天主閣
『寒山落木』より
季語:秋(秋)
松山よ。
澄んで高い秋の空よりも、さらに高く、天主閣がそびえている。
「松山城」という前書があり、子規のふるさとの城を詠んだ句です。
天主閣は今ふつう「天守閣」と書く、城の中心に何層にも重なってそびえる建物です。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
絶筆三句
季語:糸瓜(秋)
糸瓜の花が咲いている。
痰をのどにつまらせた仏が、ここにいる。
子規が亡くなる前の日に書いた三つの句(絶筆三句)の、一つ目です。
「仏」は亡くなった人のことで、子規は自分を、もう亡くなった人として詠んでいます。
糸瓜は、夏から秋にかけて黄色い花を咲かせ、細長い実をつけるつる草です。
季語は糸瓜で秋の季語です。
花だけをいう「糸瓜の花」は夏の季語ですが、この句を書いたのは秋の9月です。
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
絶筆三句
季語:糸瓜(秋)
一斗もの痰が出て、糸瓜の水も間に合わない。
絶筆三句の二つ目です。
一斗は昔の量の単位で、およそ18リットルにあたり、痰の多さを大げさに言っています。
咳止めにも使われた「糸瓜の水」は、糸瓜のつるからとる液です。
痰があまりに多く、その薬も追いつかない、と詠んでいます。
をとゝひのへちまの水も取らざりき
絶筆三句
季語:へちま(秋)
おとといの糸瓜の水も、取らずじまいだった。
絶筆三句の三つ目です。
「をとゝひ」は「おととい」のことで、「ゝ」は前の字をくり返す印です。
この三句にちなんで、子規の命日は「糸瓜忌」とも呼ばれます。
冬の俳句
いくたびも雪の深さを尋ねけり
『寒山落木』より
季語:雪(冬)
雪がどれくらい積もったかと、何度も尋ねた。
「病中雪」(病気で寝ているときの雪)という前書が付いた三句の、一つ目です。
床から起き上がれず、外の雪を自分の目で確かめられないまま、家の中で尋ねています。
同じ前書の三句目「障子明けよ上野の雪を一目見ん」では、障子を開けてくれ、上野の雪を一目見たい、と詠んでいます。
子規の家は、東京の根岸にありました。
正岡子規はどんな人か

子規が生まれたのは1867年、伊予(今の愛媛県)の松山です。
本名を常規といいます。
「子規」は鳥のホトトギスの別の名で、血を吐いた1889年から、この名を使うようになりました。
東京の学校で学んでいたころに、夏目漱石と知り合っています。
そのころ夢中になったのがベースボールで、野球の言葉やルールを日本語に置きかえる仕事もしています。
子規が日本語にした野球の言葉には、「死球」や「打者」のように今も使われているものがあります。
2002年には、野球の発展に尽くした人をたたえる野球殿堂に選ばれました。
子規が句を作るうえで大事にしたのは「写生」です。
もとは絵を描くときの言葉で、子規は洋画家たちとの付き合いからこの考えを学び、俳句に取り入れました。
「月並」は、子規が古くさくありふれた句を退けるときに使った言葉です。
晩年の子規は、ほとんど寝たきりでした。
1895年に日清戦争の記者として大陸へ渡り、帰りの船で血を吐いたうえ、のちに背骨の病気(脊椎カリエス)にもかかったためです。
それでも床の上で、1897年にふるさとの松山で始まった俳句雑誌『ホトトギス』を中心になって導き、新聞『日本』にも句や文章を書き続けました。
雑誌は翌年から東京で出ています。
子規は自分の句を、年ごとに分けて書きためていました。
明治18年から29年までの分が『寒山落木』、30年からの分が『俳句稿』です。
1902年9月19日、子規は東京で亡くなりました。
年は数え年で36歳です。
数え年では、生まれたときを1歳と数え、正月が来るごとに1つ年をとります。
命日を表す「子規忌」は秋の季語で、「糸瓜忌」「獺祭忌」とも呼ばれます。
獺祭は、子規の別の号「獺祭書屋主人」からとった名です。
子規のあとを継いで『ホトトギス』を出し続けたのは、弟子の高浜虚子です。